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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

パタヤ・タイ




蝴蝶園の花


この花は蓮の花と言うのだろうか?私は花に関しては全くの無知である。

この花は、バンコクからパタヤに向かう途中の、蝶々公園
(蝴蝶園hu2die2yuan2)へ行った時に、画像に収めたものである。


ニューハーフショウを見た翌日の朝7時に出発し、次の
リゾート目的地であるパタヤへ向かい、その道沿いにあり
そこへ9時ごろ着いた。

この公園には、ちょうちょうが沢山舞っていた。
冬であったが花が咲き乱れ、疲れた心を癒してくれた。


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現地ガイドは、これが春になれば、沢山の蝶々が、
舞い、それを見ているだけで心よい気持ちになってくると・・。

この花をもう私は蓮の花と決めてかかったが、

寺で見る蓮の花の花びらが包み込むような絵を思い出し、
これは蓮の花とは違うのではとも思い出した。

この公園には、ツバメの巣(燕窩yan4wo1)が売られていた。
ツバメの巣は、料理材料として珍重されている。


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服の蚤の市


蝶々公園(蝴蝶園hu2die2yuan2)へ行った記事を、
載せたのは蓮の花ので良いのかどうか?
聞くためであった。

私のネット友人でもある「さなちゃん」は、
色んな花を育てて来られた。

そして、いつも自然との対話の中で、
幸せな家庭を築いて来られた素敵な女性。
自惚れかも知れないが、その女性から何らかの回答を、
頂けるのではないかと思い更新した。しかし、

なぜか人の心を、もてあそんだような思いに駆られ、
ここに、その気持ちを正し、更には、
蝴蝶園へ行く前に戻り、更新して行きたい。


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画像はホテルから歩いて3分ほどの所にあった服の蚤の市
このような光景は中国では至る所にある。

規模がもっと大きく500mを超えるような長さに、
所狭しと、水墨画や瀬戸物また服を持ち寄り、
竹や水道管などで井桁を組み、そこに色んな商品を、
掛けていくのであるが、日本では祭りの時意外は、
見なかったような記憶が有るが記憶違いかも知れない。

バンコクでもこのような所が至る所で見受けられた。
固定した店を持たない人が、出店気分で物を売っている。

以前、この様な所で、ポロシャツを買った事があるが、
縫製は余り良くないし、カットソウの命である伸びにも、
対応してない糸調子で作られていた。

その場しのぎと、出張先から持ってきたものの、
お手伝いさんに洗濯して頂いたら、
ポロシャツの赤色が、私の白のドレスシャツに、
色落ちし染まってしまった。

30元(450円)で買ったポロシャツの為に、
9000円のドレスシャツが駄目になった。
これが本当の安物買いの銭失いです。


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タイの意気込み



現地ガイドと宝石加工販売工場の説明を、
ノートにメモしてあったが、中国語と日本語と、
英語とピンインで書いたため再度整理した。

バンコクをロンドン、パリ、ニューヨーク、東京と、
並ぶアジアのファッショントレンド発信地として、
世界的な地位を確立することを目的に議会に提出。

ファッション関連産業に、総額70億日本円の、
予算枠が、議会に提出され可決された。

デザイン力の強化、独自ブランドの確立、
そして世界市場での知名度アップに取り組んでいる。
技術者の技術力アップやデザイナー教育機関の充実。

色んな課題がある中で、感動した事が、
ファッションや宝石を見る眼に長けたニューハーフの、
トラバーユで、デザイナーになる人も多いという。

そして、身体は元に戻らないが、ホルモン注射も薬も、
全て中止し、デザイナーとしての道を歩んでいる。


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画像の4階建てのビルで、一階が工房と、
デモンストレーションの場所であった。

画像に収めていると、大きな声で早く入って下さい!
そして中に入ると50人位が座れる椅子が設置された
試写室のような感じで、直ぐにフィルムが回った。

10分ほどにまとめられた映画には、タイのルビーや、
サファイアが優れている事を、見せ付けられた。

タイの金、銀、ルビー、サファイアなどのセンターで、
1Fの工房ではデザイン料が無料でオーダー出来る。
何となく素朴な工房と言う感じがした。

2階が金や銀プラチナの装飾品売り場。
3階が宝石売り場で、日本で買えば、とてもこんな値段では、
買えないと思ったが、ただ見るだけで、通り過ぎた。
4階は、バッグや財布、服飾品などが販売されていた。


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誕生石の起こり1


この画像は、2階の売り場の壁に貼り付けてあったもの。
本当は撮影禁止であったが知らずに撮影していた。

各階段の上り口の壁に撮影禁止のマークが、
貼り付けてあったが、正直な所見逃してしまった。

貴金属や宝石類の撮影は、常識として、
撮影禁止であり、撮影しようとは思ってもいなかった。

しかし、撮影禁止ですよとガードマンから言われた。
その時、壁なども撮影してはいけないのだと自覚した。

撮影してはいけないのであれば、この1時間の時間を、
どのように潰そうかと考えた。が・・・。

そこで思いついたのが、色んな所に貼ってる中国語に、
目が行った。それに目が止まれば、次から次から、
中国語が目に飛び込んできた。


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それをA6ノートに書き写してまわった。
今度は書き写しているだけだったので、ガードマンも、
近寄っては来たものの、文句は言えなかった。

色んな内容をノートに書き写したが、1月~12月の、
誕生石の名前が、書いてあったので写してきた。

この誕生石の起こりは、ユダヤ教の祭司の胸板の、
12の宝石によるという説と、新約聖書ヨハネ黙示録の
新しきエルサレムの東西南北12の門の12の石垣の、
「基礎石」によるものであるという二つの説がある。

日本人観光客が多いのか、日本語も書かれていた。

1月 Garnet   石榴石(hi2liu2shi2) ガーネット
2月 Amethyst  紫玉石(zi3yu4shi2)  アメジスト

3月 Aquamarine 海藍石(hai3lan2shi2) アクアマリン
4月 Diamond   鑚石 (zuan4shi2)   ダイヤモンド 
 
5月から12月は、次に更新しましょう。

7月のルビーと9月のサファイアは、
タイとカンボジアで、世界の70%の生産量との事。


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誕生石の起こり2


誕生石の起こりは古代ユダヤ教で、聖職者の胸当てに、
縫い込まれた12の宝石がその基になっている説が有力。

宝石が教会の聖職者たちの地位と象徴と表し、
宗教上大きな役割を果たした。

20世紀に入って12年過ぎた頃、アメリカにて、
宝石組合が原則的な12の誕生石を決定した。

元々、宗教的な意味合いが濃かった誕生石は、
宝石業界が宝石を普及させるための宣伝材料となった。

いつの世にも仕掛け人は必ずいる。
いずれも人が造りだすものであり、
それに乗せられるのも、また人である。


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前のページでは1月~4月までの誕生石の名前を書いた。
下記に5月~12月までを更新して行きたい。

5月 Emerald 緑宝石(lv4bao3shi2) エメラルド
6月 Pearl 真珠(zhen1zhu1) パール

7月 Ruby 紅宝石(ong2bao3shi2) ルビー
8月 Peridot 橄覧石(gan3lan3shi2) ペリドット

9月 Sapphire 藍白石(lan2bao3shi2) サファイア
10月 Opal 蛋白石(dan44bai2shi2) オパール

11月 topaz 黄玉石(huang2yu4shi2) トパーズ
12月 lv4song1shi2 緑松石(hai3lan2shi2) トルコ石


この順序も宝石業界が考え出したものではあるが、
しかし、指輪にしろネックレスにしろ、その生まれ月の人が、
身につけると、幸運を招くといわれる宝石のことである。

いずれにしても幸福とは心が感じる事であり、
いくら高価な宝石を送っても、その中に、
感情がなければその幸せも砂上の楼閣に過ぎない。


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宝石言葉は「心中の歓喜」


花言葉ってありますよね。バラは清純な愛など・・。
ここでは宝石業が考え出した宝石言葉を更新。


1月の誕生石はガーネット
言葉は貞操、真実、友愛、忠実。
一人の人に忠誠を尽くすが、同時に他の石を持つと、
その効力は消えてしまうという石である。

ガーネットは漢字の通り「石榴(ざくろ)石」という。
ガーネットは結婚18周年記念石。結婚して18年目に、
思春期を迎えた子供たちの姿に、自分たちの若い純真な頃を、
オーバーラップさせ、「変わりのない愛情で尽くす」との意。


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2月の誕生石はアメジスト
言葉は誠実、心の平和。
ギリシャ神話に登場する女官アメシストの悲劇から、
豹に襲われたアメシストを月の女神が、純白に輝く水晶に、
変身させ彼女を守った。

豹に襲うよう仕向けた酒神バッカスは、自分の罪の深さを、
懺悔しその水晶に葡萄酒を注いだところ、透き通った紫水晶の、
アメジストに生まれ変わった。

アメジストの力は、恋を招きよせ熱くなり過ぎた想いを醒ます。
恋に冷静さを忘れてはならない。誰かに熱い思いを寄せている方、
恋の駆け引きにどうぞ。私は2月26日生まれでアメジスト。

3月の誕生石はアクアマリン
言葉は沈着、勇敢、聡明。
透き通った水の妖精のようなアクアマリン。
アクアマリンは夜になると光のもとで一層美しく煌く。
貴婦人たちには「宝石の夜の女王」といって愛された。


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4月の誕生石はダイアモンド
言葉は、永遠の愛、恋の勇気、純粋、無垢。
歴史上最初に登場するダイヤモンドは、紀元前4世紀のインドの、
伝説的な叙情詩「マハーバーラタ」にある宝石誕生伝説にある。

伝説のダイヤモンドは17世紀、ムガール王朝の所有する数々の、
秘宝の中から発見され、二千年の時を経て再登場した。
180カラット以上もあるダイヤは「光の山」と呼ばれ、
燦然と輝きを放ち始め現在でもその輝きを失せる事はない。

5月の誕生石はエメラルド
言葉は、幸運、幸福、夫婦愛、清廉、健康、高貴。
新緑の季節をイメージする。洗練された美しさは、
大人に成り切ってない女性には手に負えない思えるほど。

クレオパトラが愛した宝石。古代から崇められてきたエメラルド。
キリストが最後の晩餐で使った聖杯はエメラルドで作られており、
イエスの善良な心の象徴とされた。


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6月の誕生石はムーンストーン
言葉は健康、長寿、富。
日本名は「月長石」。月とこの石に関する伝説は数多い。
古代インドでは、月が宿る聖なる石として崇められた。

月に恋する石で、愛する男性の気持ちによって、
揺らぐ、女性の心の細やかさを表しているよう。

7月の誕生石はルビー
言葉は情熱、仁愛、威厳。
今世紀初頭に宝石業者が誕生石が統一させるまでは、
赤々と燃える炎を連想させるルビーは、春をじっと待つ、
情熱の石というイメージで12月の誕生石をルビーにしていた。
希少価値はダイヤモンドよりも高く、タイ産は黒味が強く、
ビーフ・ブラッドとも呼ばれ、高級品の域である。


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8月の誕生石はペリドット
言葉は夫婦の幸福、和合。
太陽の光が輝きを増す季節。森の中を抜けるさわやかな風、
木々の間をすり抜ける木漏れ日の光りのようなイメージの石。

1952年に8月の誕生石に選ばれた。しかし、この宝石の歴史は、
紀元前3世紀のエジプト・プトレマイオス王朝の時代に王族に、
愛された宝石としての記述が残っている。

物事を見据え問題を解決させる力をもつ。主人の色欲を和らげ、
精神的に落ち着かせる。人生に勇気を与え、夫婦の絆保つ。

9月の誕生石はサファイア
言葉は慈愛、誠実、徳望。
もの静かで何もかも見透かしているような深い青。
身に付けると、心が落ち着き澄んでくるよう魔力がある。
心の中の汚れを全て洗い流し、誠実さがそのまま宝石言葉になった。

中世ヨーロッパでは皇帝、聖職者、僧侶など身につける宝石。
「誠実」という言葉で「不貞を見破り浮気を封じ込める石」
「貞節の証」としてヨーロッパ貴族の間では有名だった。


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10月の誕生石はオパール
言葉は、心中の歓喜、安楽、忍耐、悲哀を克服して幸福を得る。
清純な透明感を持ち、炎のように燃える妖艶な女性の如く、
ある時は原始的で不思議な野性味を感じさせる石。


11月の誕生石はトパーズ
言葉は友情、友愛、希望、潔白。
秋、紅葉の季節、そんな秋にふさわしい黄金色の宝石。
華やかさだけを求める女性は見過ごしてしまうほどの透明感。
トパーズの語源はギリシャ語の「探し求める」
宝石言葉は友情や友愛だが、真の友情は見つけ出し難い。

12月の誕生石はターコイズ。
言葉は成功、成就、高貴、気品、無垢。
澄んだ透明な冬の晴れた空に通じるところがターコイズの青。
一年を無事に過ごしてきたという年の終わりの誕生石はトルコ石。
紀元前三千年ころから多くの人々に愛されてきた宝石。
最上のトルコ石はイラン産。鮮やかで深みのある青空の色。

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緑の風景が果てしなく


1時間の宝石店での時間は、色々な漢語や、
誕生石の英語名・中国名・日本名などノートに書き、
その宝石の宝石言葉などを、書き出していたら、
1時間では足らなかった。

案の定、片隅で必死に書き写していた私を、
中国人が、探しに来た。ここは撮影禁止だから時間を、
持て余してると思ったら、今度は、書き物ですか?
日本人って皆貴方のようです?と聞かれたが、・・・?

バスは既に待機しており、バスの2階へ階段を上った。
中国の皆さんから、また貴方が一番後ですよ!って、
言われて、話そうと思ったら、探しに来た中国女性が、
この人宝石の言葉を書いてましたよ!と言ったものだから、
皆さんは、私にも見せて!女性達・・だった。

バスは、バンコクの街からリゾート地のパタヤへ向け、
先を急いだ。その途中の道路脇の景色をカメラに収めた。


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行けども行けども、緑の風景が果てしなく続き、
椰子の木畑が結構、長い距離に渡って生い茂っていた。

私は、カメラを外に向け撮影し、ふと座席を見ると、
私の方を見て、ニッコリ微笑みを浮かべながら、
バスが走っていても写真を撮ってるのですか?と首を傾げた。

途中、ガソリンスタンドでトイレ休憩した折に、
スタンド近くのセブンイレブンで、コカコーラを2本買った。
外に、15分間出ていただけで、汗が噴出して来た。

既にバスが走り出した中で、先ほど買ったコーラの、
蓋のネジを切った途端に、コーラの炭酸が50cmほど、
勢いよく飛んだ。運悪く私の隣の席に医科大学の女子大生が、
座っており、その手に掛かってしまい大騒ぎ・・・。

そんなドタバタな時間も過ぎ去り、快い睡魔が襲ってきた。
ふと、周りを見ると皆も眠りに落ちていた。

バスは、そんなことに関係なく、
一路「蝴蝶園」へ向け、走り続けていった。


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蝴蝶園1


今朝は、荒川静香の金メダルの興奮で、
画像の更新が出来なかった。
久しぶりに興奮しました。

そして画像は、
プーケット島のミニチュア版だろうか?
ここの裏側が「蝴蝶園」になっていて、
右側が「蝴蝶園」の入り口になっている。

始めに、昼食を摂った。
8人で一つのテーブルに座り、
7品のおかずとスープが出てきて、
テーブルは、物の置き場が無いほどになっていた。

食事はのんびり構えていると、
瞬く間になくなってしまう。
私は、大きな皿を用意して頂き、
その7品のおかずを少しずつ入れていった。

それは、まるでバイキング料理を、
味わっているような感覚にも似ていた。
皆さんからは、全てのおかずを少しずつでも、
確保をしてからゆっくり食べるのですね。と、
中国人の食べ方と違うと言われた。

日本の企業とタイアップして事業をしている人が、
日本の習慣は、大きい皿に持ってある料理を、
小さい皿に小分けして食べるんだ。と、
得意そうに話していた。


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私は、皆さんの箸の進め方が早すぎる為、
私が食べようと思った料理が、
瞬く間になくなってしまうからと、
言いかけて「そう!いい方法でしょう」と、
笑いながら食べていた。

食事を30分ほどで済ませた後、
「蝴蝶園」の中に入っていった。
外の気温は35度であったが、タイは真冬の季節。

ガイドの言うような「ちょうちょう」の、
乱れ舞の姿は見られず、モンシロチョウが、
花から花へと飛び回っているに過ぎなかった。

花の咲き乱れるというガイドの表現だったが、
その花すらも少なかった。
その少ない中でも、いくつか画像に、
取り込んできたので2・3回に分けて、
更新していきたいと思う。


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蝴蝶園2


画像の中に観光客の姿を写したくないので、
私は「蝴蝶園」の中に一番に入ろうと、
足早にゲートの方へ向かっていた。

私のその行動を見てとったのか、
上海旅行社の添乗員から「蝴蝶園」へは、
チケットがないと入れないから、
ダメダメと言っている。

何とか入れないものかと、入口の女性に、
手を合わせたものの、さすがタイの国、
入り口のお嬢さんも、あわてて私に手を、
合わせて頂きました。

私が笑うと、彼女も笑ってくれ、
私の意味が分からない様子だった。

添乗員は、何を慌てているのですか?と、
他の中国人からは、分かった!
この人、写真を早く撮りたいのでは?と、
私の行動を見抜いておられたようだ。


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ツアーの観光客にチケットを渡し終えたが、
やはり皆さんぞろぞろと入り口を入って行った。

こうなれば一番最後に入り口へ入り、
出来るだけ皆との距離を開けようと思った。

バスの中で既に友達になった人たちが、
私達と一緒に早く入りましょうと言ってくれたが、
先に入るよう促し、私はというと、入り口の
ちょうちょうの絵などを眺めていた。

そこへ、先ほど私につられて手を合わした女性が、
にっこり笑って、入って下さいと言いに来た。

中に入ったものの、私の予感した通り、
中で皆が動かずに、記念写真を撮っていたので、
その場で、また暫しの時間待つ事になった。

画像は、「蝴蝶園」の入り口を入って、
間もなく重たい鎖の暖簾(のれん)を潜った。
ゆっくり歩いたが、前を歩いている親子の姿が、
画像に写ってしまった。


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「これは何という花」


「蝴蝶園」の入口を入ると左側に咲いていた花です。
この花は何と呼ぶのでしょう?

これから、3回ほどの更新は、
この花は何と呼ぶのでしょう?を、
連発する事でしょう。


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この花も分かりません。
何せ、花の名前は、チューリップと、
バラの花そして、ひまわりの花・・・

そして水仙や牡丹の花。
梅の花と桜の花に桃の花。

他にも多分知っていると思いますが、
思い浮かぶのは、これくらいですね。

ところでこの花なんて呼ぶのですか?


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蘭の花言葉は「美人」


「蝴蝶園」を更に歩いて進むと、
右側に見かけた花が咲いていた。

この花は蘭の花ではないでしょうか。
私がまだ日本にいた頃、名古屋で行われた、
蘭の花博覧会を見に行った事があります。

その時に、蘭の花でも色々な種類が、
有るんだなと思ったものです。
もう18年以上前のことでしょうか。


蘭の花言葉は「美人」
その中でも白色の蘭は「純粋な愛」

では、この蘭はなんて言うのでしょうね。
見事な色ですから「妖艶な愛?」


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下の花は、何でしょうか?
「黄色い花」で検索を掛けてみました。

すると、凄い数の黄色い花が有りました。
分からないが、ゆり科の花ですかね。

それとも水仙の仲間なのでしょうか?

分かりません。

この花は何と呼ぶのでしょうか?


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「青い色の睡蓮の花」

2日前に画像を更新した蓮の花の画像。

「ある女性」より、「多分睡蓮だとおもいます」とのご連絡あり。

「睡蓮」で検索したところ、同じような花が続々と出てきました。
そして、モネの睡蓮の絵画の事が、書かれてありました。

また、モネが晩年を過ごしたのは、戦争の舞台となったノルマンディー地方。

「青い色の睡蓮の花」は、モネが何としてでも咲かせたいと、
願ったが叶わなかった。その睡蓮の花・・・。


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この蓮の花には瑞々しさがない。
それだけに、毎日咲き、咲き疲れた姿・・。何となく哀愁を感じる。

睡蓮の花言葉は「心の純潔、純情、信頼、復活」
蓮の花言葉は「神聖・沈着・休養・遠くへ去った愛」

花言葉って実に勇気付けられる。それぞれの花に言葉が有る。

誰が付けたのかは知らないが、

赤コスモスの花言葉は「乙女の愛情・調和」
白コスモスの花言葉 は「乙女の純潔・美麗・優美」
濃桃コスモスの花言葉は「愛情」
黄花コスモスの花言葉は「野生美、チョコレートコスモス」

そして、画像は「蝴蝶園」に、咲いていた一輪の「睡蓮の花」
モネが咲かせたいと願った「青い色の睡蓮の花」


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辺り一面の花


「蝴蝶園」の中で画像にした花たちの、
名前は分からないものが多かった。

いや、ほとんど分からないと言った方が、
良いのかも知れない。

広い「蝴蝶園」の周りは、
グリーン系のネットで前面覆われていた。
蝶が外へ出ないようにしてあった。

そのネットを潜り抜けると、
前方に花一面の世界が飛び込んできた。

画像では、その私の感動の一部しか、
伝える事が出来ませんが、
目が眩しくなるような光景に感激した。


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画像は縦方向と横方向のショットであるが、
出来るだけあの素晴らしい感動をと、
縦と横の画像を更新した。

しかし、逆光の為に花の色が飛んでしまった。

残念であるが、致し方ない。
その昔、同じ被写体を11時間くらいの、
時間を掛け30分に5枚ずつの、
合計110枚の画像をプリントアウトした。

今のようなデジカメがまだ無かった時代である。
それで、朝の太陽が昇り始めた時から、
太陽が西の方に沈む間際まで、
あの自然の織り成すドラマは今でも心に焼きついている。

その中では、やはり朝の7時から9時ごろが、
太陽の光も感じが良かった。
また夕方5時から7時ごろの時間だった。

真昼に撮った画像は、どうしても立体感のない
画像になってしまった。

この画像は、一番悪い逆光の画像である。
しかし、雰囲気だけでもつかんで頂ければと思う。


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鉢植えの花


近くに歩み寄り鉢植えの花を、
画像に収めてみた。

だが、遠くから眺めている方が、
感動の度合いは多く感じた。

鉢植えの花を撮ってみたものの、
花の名前は、やはり分からない。


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鉢植えを置く為に椰子の木を切って、
その高さを色々変えて、
鉢植えを置く高さを調整していた。

その椰子の幹と鉢と花が、
非常にマッチしていた。

この右側奥に道があり、その道の向うに、
次のガーデンがあったが、私がツアー客の中で、
一番最後のため、その奥には時間的余裕がなく、
見に行く事を断念せざるを得なかった。

皆からも、「早くして下さい!」
「皆さん待ってますよ!」と、
一番後から回った事を後悔しかけていた。


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鉢植えに咲いた花


「蝴蝶園」の裏側にキレイな花が咲く
公園に出たが、ほとんどが鉢植えに咲いた花だった。

昔日本に住んでいる時に、
鉢植えに咲いた花をよく買ったものです。
でも、いつも長持ちせず枯れさせてしまいました。

鉢植えに咲いた花を長持ちさせる方法って
やはり難しいのだろうか?などと、
ふと20年前の日本での生活が蘇ってきた。

鉢植えに咲いた花に水を注ぐ時間も、
午前や午後、決まった時間、決まった水の量・・。
何も考えずに、買って来てはそのままにしていた。

今思うと可哀想な事をしたと思う。


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上の画像に、逆光を利用して影を作って、
撮影すれば、花がもっと引き立つのではと、
思っていたが、あまり冴えない画像になった。

右側に寄りすぎているのは、わざとではなく、
左側に観光客が大勢居たから、
仕方なくその人達を避けて画像にしたからだ。

私の母の在所近くの公園に5月ともなると、
つつじがキレイに咲き乱れ、公園の歩道も
整備され、歩道両脇の木もキレイに刈られていた。

ここに立つと、暫しの間、何もかも忘れ、
ぼんやりと眺めていたい衝動に駆られた。


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花と蝶と光と影


画像の下の方に見えるのも花だろうか?
花?の先のみ構図の中に入れた。

本当は、画面いっぱいでも入りきれないほど、
黄色とオレンジの花?が咲いていた。

この花なんていうのかは分からない・・だけど・・
何処かで見たような気がする。

公園に設置された庵まで行こうと思ったが、
中国の同じツアーの人から、
もう時間が無いですよ。
もう、皆待っているかもしれないですよ!

公園の庵まであと30mの地点で、
私は後ろ髪を引かれるおもいで、
引き返してきた。


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引き返す途中で、
自然のおりなす光と影。

花に注がれる太陽の光と、
太陽の光が遮られ、陰になった部分との
コントラストに、また立ち止まり画像に収めた。

だが実際の目で見たその時の感動が、
この画像に表現されいないので悔しいおもいだ。

もし、もう少し時間が有ったら、、、、とか、
こんな時、一眼レフのカメラがあったら・・・
なんていう思いも脳裏をかすめたが、
所詮は、自分自身の勉強不足だと思った。


下の画像のベンチに座り、
今までのこと、これからのこと、そして、、、
人の縁(えにし)についても、
いろいろな思いに耽りたいなどと、

やはり旅は一人旅だと、またまた思ってしまった。


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蘭の花では無いのでは?


「蝴蝶園」の全体を覆っているネットの
奥まで行き、重い鎖のカーテンを出たところで、
思いがけず綺麗な花の織り成す
ハーモニーを垣間見させてもらった。

そこで、時間を使いすぎ、
中国人が迎えに来てあわてて引き返した。

その帰り道に撮った花の画像。
これってひょっとしたら、
蘭の花では無いのではと思った。

胡蝶蘭とばかり思っていたが、
どうなのだろう?

花の名前を知っていれば、
どんなに楽しい事だろうと思った。


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その花のアップを息を切らせながら、
撮影している時に、中国女性より、
また撮っているのですか?と、
早くしないと私が怒られますよと、、、

分かってますよ!
そんなに急かさないで下さいよ!
私達が、戻らない事にはバスは、
発車する事は出来ないから安心してと、

彼女曰く、何も感じないのですか?と、、、
私は、彼女に独り言のように言った。

十分感じてますよ、貴女の心の叫びを!と、
言ったところ、どういう意味ですか?と、

何か変なことを言ってしまったのかと、
思いながら、前方の「蝴蝶園」の標識を、
撮ったが、何が何だか・・・?

この蝶の噴水の泉を右に回ると、
まだツアーの中国人数人がいた。

こんなに慌てる事無かったのでは・・・と、
彼女に言ったら、右側で待っていた人たちが、
あなたを待っていたのですよ!と、
待つ事に疲れたという感じでした。


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蝴蝶(ちょうちょう)


「蝴蝶園」の参観ルートは、
地元ガイドについて観て回ること。

しかし、「蝴蝶園」の入口で、
チケットが必要である事が頭に無く、
入口でチケットの提示を求められ、
その時初めて気付いたが、これで出遅れた。

中国の同じツアーメンバーより、
先に「蝴蝶園」に入って画像を撮ろうと考えたが、
結局、皆が入り切ってより、最後に入った。

だが、途中、やはり先に入り、人影を避け、
画像に収めたかったが、結局ツアーの人の
団体が、先へ進むまで、待っていなければならず、
私に与えられた時間が最終になるに従って、
無くなってしまった。


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そして、同じツアーの中国のメンバーが、
迎えに来る事になってしまった。
早くして下さいという言葉を聞きながらも、
被写体にレンズを向けていた。

中国の迎えに来た女性は、私が被写体を前に、
立ち止まっている事にも気付かず、
さっさと歩いていき、大分行った所で、
振り返り、もう!また止まっている!と、

やはり、一番先に観光ルートを小走りに進み、
皆が到着する前に、画像を撮り終えるべきだと、
再度、心に留めおいた。


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そして「蝴蝶園」に来ても、冬の季節で、
モンシロチョウが、ひらひらと飛び回るだけで、
そのほかの「ちょうちょう」を観る事が出来なかった。

最終時点で、蝴蝶(ちょうちょう)の標本を、
見つけ、何とか画像に収めようとした。

途中に、色んな標本が展示してあったが、
現地ガイドも、私を探しに来ていて、
もう皆さんバスに乗ってますよ!と言われ、

その他の標本は、眺める時間も無く、
何度も振り返りながら、その場を後にした。

洞窟の中を通り抜けたところに、広いスペースの
会場の中で、ツバメの巣が、売られていた。

私は、立ち止まる事も無く、前へ前へと進んだが、
同じツアーの中国人親子が、ツバメの巣を買っていた。

彼女達は、健康に良いと言って、
私にも買うように勧めたが、現地ガイドは、
手を横に振り、私に早くバスまで、行くように促した。


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「KARAOKE」の文字


「蝴蝶園」の出口にやってきた。
そして、ふと何処かで見た光景だと思ったら、
私達が、「蝴蝶園」に入る前に昼食を摂った所だった。

このからくりを知っていれば、
始めからこの出口から入り、土産物売り場を、
通り抜けたら、蝶の標本まで早く辿り着けると、
思ったが、そんな事を考えても再度、
ここへ来るかどうかも分からなかった。

バスに乗る前に、バスの横に、
書いてある「KARAOKE」の文字に気付き、
画像に収めてより、ガイドに聞いてみた。

「KARAOKE」って書いてあるが、歌えるのか?と、
返ってきた答えは、有りますよ!

だったら、次のポイントへ付くまでに、
カラオケを歌ってもいいですか?と、
再度尋ねたところ、それを聞いていた中国人は、
拍手をし、よし私も歌うよと言ってくれた。


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2階建てバスの1階の真ん中あたりに、
10人位が座れるようになっていた。

しかし、その入口のドアーには、
鍵が掛かっていたため、ガイドが運転手の所へ、
鍵を取りにいったが、苦笑いをしながら帰ってきた。

私と中国人6人は、そのガイドの表情をみて、
何となく嫌な予感がしたが、聞いてみた。
鍵は有りましたか?その答えは鍵は有った。

でも、カラオケ室に入っても、アンプが壊れていて、
3ヶ月ほど使えなくなっているとの事。

なぜ壊れてから3ヶ月もほかって置いたのかなどと、
思っては見たものの、その意味が分かったとしても、
カラオケは歌えないからと、2階に上がった。

何となく、疲れが一気に身体を駆け抜けた。
次の観光ポイントのワニ園まで、1時間余り、
ソファーの背もたれを倒し、仮眠をした。


DSCF8344.jpg



中国人同士で賭け事

「微笑みの国」のタイランド。
バンコクから2時間以上車で、
走った所にあるワニ園の外に出た。

バスに乗り込もうと思い、
ふと振り返ったとき、
1本の気になる木が目に止まった。

私は、「もう発車するよ!」という、
声を後に聞き、小走りに行き、
その木の画像を収めた。


DSCF8444.jpg


そして、皆が既に乗車しているバスの、
前方に行き、再度バスを画像に取り込んだ。

バスに乗り込むと、拍手が起こった。
どうやら中国人同士で、賭け事をして、
私がバスに上がって来るときは、
満足そうな笑顔で上って来るか、それとも、
渋い顔付きで上ってくるかという賭け事だった。

その話しは、バスがリゾート地のパタヤに、
着いた夜の食事の時に聞かされた。

賭け事に負けた人は、貴方が不機嫌な顔で、
バスに乗り込んでくると思い賭けたが、
あれほど満面の笑みを浮かべて入ってくるとは・・?
この今出ているビールは、負けた人が、
出しているんですよ!と言われ、私はまた笑った。


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「Happy New Year 2006」の看板。
これは当然観光客のために作成されたもの。

タイでは、1月1日(世界共通)
中国の旧正月の1月末から2月(旧暦正月)
そして、タイの正月そのものは、
4月13日前後で、その年によって違う。

このタイの正月には、水を掛け合う。
お年寄りに水を差し上げ、仏像に水を捧げ、
一年の幸せと健康を祈る。

私たちは一路、タイの象乗り体験へ向かった。


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タイの象ランド


「微笑みの国」のタイランド。
バンコクから2時間半ほどで、
リゾート地パタヤ近くの、
象乗り場へ着いた。

この象乗り場に着いて、
初めにした事は、
椰子の実の冷たいジュースを飲んだ。

34度ある気温の中でも、
氷に冷やした椰子の実ジュースを
一気に飲み干すとさすがに、
こめかみ辺りが痛んだ。


DSCF8485.jpg


画像は象の牙にお尻を乗せて、
象がその人を持ち上げるというもの。

2頭の象の片方は、両方の牙の間隔が、
少し広がっており、ある女性が小さく、
悲鳴をあげた。その女性の方を見た。

その女性は、再度何ともいえない大きな声を、
あげたかと思うと、象の左右の牙の、
隙間にお尻が挟まった格好になってしまった。

お尻がスポッと挟まり、足だけ高く掲げた
奇妙な格好になってしまった。

その人は見るからにやせ細った人であり、
無理もないと思ったりもしたが、
スラックス姿だったので、まだ良かった。

私は同じツアーの人の画像を、
撮っていたが、もしスカート姿なら、
私も撮影どころではなかったかもしれない。


DSCF8463.jpg


一頭ずつの象には必ず調教を兼ねた、
騎手が象の首辺りに座っており、
ストップや進め等の操縦を足でしていた。

象の年齢は人間の1歳の1.5倍を掛けたもの。
つまり、50歳であれば75歳という事になる。
なぜ1.5倍なのかは分からない。

私のノートには、象の年齢→人間の1.5倍と、
書いてあるだけだった。


現地ガイドもその専門的なことは、
分からなかったのか?私がガイドの中国語を、
理解出来ずに聞き流してしまったかである。


DSCF8480.jpg


この象の牙に乗る画像はあまり撮らなかった。
なぜならば、皆さんを撮影している時に、
私と行動を共にしている中国人青年が、
象に乗りますから早くして下さいと、
声を掛けたからだった。

私は、この女子医大生の画像を収めると、
象乗り場の、やぐらへと向かった。

高いところから象の背中に設置した
2人乗り椅子に乗る事が出来ないからである。

象の背中に乗ったものの、違和感は無かった。
何故ならば、象の背中の肉質感は直接には、
伝わって来ないからだった。

しかし、動き出すと手を離していては、
振り落とされてしまうほどの錯覚を味わった。


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エレファントビレッジ


バンコクから2時間半ほどでタイの、
リゾート地パタヤ近くの象乗りランド、
エレファントビレッジへ着く。

タイの象乗りランドの有名な所はと言えば、
世界遺産でも有名なアユタヤの近の
エレファントキャンプの乗り場が有名。

タイランドの中には、
このような象乗り場が10箇所以上、
点在していると思うが詳しくは知らない。

私の書いた記事「エメラルド寺院」の、
壁画にまつわる故事の中にある王国、
ラーマ王の話しのアユタヤ王国である。

ここのエレファントビレッジの
象乗り場は、リゾート地パタヤの近くに、
設置された象乗りランドであり、
多くの観光客が、訪れる場所でもある。


DSCF8468.jpg


次に、象の背中に乗りコースを1周した。
象の背中に設置された二人乗りの、
椅子に、腰掛けてコースを一周するが、
体調の優れない人や、直ぐに
車に酔う人は避けた方が良いかもしれない。

象の背中は歩く度に大きく前後に揺れる。
慣れてしまえば問題ないという。

しかし、母親と娘が象を降りてから、
母親の方が、手で口を押えたかと思うと、
食べたものを豪快に戻していた。

母親の後で不安そうに佇む娘の姿が、
印象的だったが、象に酔わないコツは、
遠くの景色を見ながら、ゆったりと
乗っていれば、酔わないものである。


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あたかも船を借り切り、沖へ出て
釣りをするにも似たりである。

まだ釣れないかと海面ばかり見ていれば、
直ぐに船酔いを起こしてしまう。

遠くの景色を見ながら、手の感触だけで、
釣りを楽しめば、まず酔わないのと同じである。

この象乗りには私も参加したので、
皆の画像を撮るのが遅れてしまった。

画像を撮っている最中も、何となく
まだ象の上に乗っているような、
ふわりふわりとした余韻が残っていた。


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パタヤ観光の紹介3D


バンコクから2時間半ほどでタイの、
パタヤへ着く。パタヤはバンコク の、
南東150kmの所にある。

ベトナム戦争中に米国が、
この地域に海軍基地を設け、
その事によって発展した。

その昔タイ王国海軍が使用し、
パタヤの街や高台で、大砲や
戦争の跡を見た。

そのパタヤは現在はリゾート地で、
街や海岸沿いでは、昼夜を問わず、
憩いを求めて多くの人が集まっている。

そのパタヤ観光の紹介を、
3D映画でしていたが、バンコク市内の
エメラルド寺院の姿もあった。


DSCF8500.jpg


3D映画なんて本当に久しぶりだった。
3Dとは立体という意味で、メガネを掛け、
映像画面を見ると、あたかも滝の水が、
自分に降りかかって来るような錯覚をする。

その放映している後の席から、
メガネを掛けずに観客の姿を見ていると、
鳥が飛んできたり、ボートが飛び込んできたり、
そんな時には、皆の頭が右へ左へと、
同じ方向へ倒れるから不思議である。

画像の手前の真ん中の女性は、何となく
銀座のママさんって感じですが、
上海の大きな会社の女性社長さんである。
両脇はその親戚という。

後のサングラスをした男性は、上海の
病院の医師であり、横は奥さんと娘。
サングラスをして、治療はしないでしょうね。


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私は早めにバスに乗り込み、バスの中を、
撮影したかったが、既に前の方には、
ツアー客が座っていた。

このバスの中では、私は一番後部の、
座席とその前の2列を陣取っていたが、
エアコンの利きが良すぎて、寒いのは、
バスが発車して空気が後へ流れるからだ。

そのことも思ったりもしたが、
今更前に変わって下さいと、変な事も言えず、
ボストンバックから、薄いジャンバーを出し、
それを羽織って急場を凌いだ。

そのままパタヤのホテルに直行し、
ホテルにて食事を摂った。

その夜に、夢幻金絲猫やナイトショーに行き、
トラブルに巻き込まれそうになった。


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夢幻金絲猫(ショー)


バンコクから2時間半ほどでタイのパタヤへ着く。
パタヤはバンコク の、南東150kmの所にある。

その夜、パタヤのホテルに着いたが、午後11時過ぎに、
なってしまった。部屋に荷物を置きベットの端に座って、
「今日の夜は実に危なかったな~」と深いため息をついた。


今まで何度も修羅場を経験してきたので恐怖感は感じなかった。
しかしカメラを壊されるのではないかと思った。

だが、遅くなったとは言え、無事にホテルに帰り着いたから、
ヨシとするか!などと思いながら、ポケットより、
デジカメを出して、SDカードを入れ替えた。

今日の夜は、ツアーに組まれた観光ではなく、お金を出し、
夜のオプションに参加した。参加した人は4人だった。

私は、夢幻金絲猫や泰国浴模特儿秀に参加したが、
前もって辞書でも調べたが、分からなかった。

その場所に行って、その名前の意味が分かった。
単なる金髪の娘のストリップショーであった。
な~んだ、ストリップショーか!と思った。

暫しの間見ていたが、ブラの覆いパッドが、自由に動かせる事に、
興味を持った。必ずと言って良いほど最後には乳房と下のヘアーを
見せるのであるが、下はやはり紐を解きバタフライを取るだけだった。

しかし、ブラは違っていた。ブラのパッドの上下部分に空間を作り、
自由に左右へ動かせれるようになっていたのである。

中国へ来てからもストリップショーは全然行ってなく、
日本に居る時にも、30歳位の時までだったが、ストリップ嬢から、
年賀状が届く位、通い続けた時もあった。

私が通っていた時には、ブラの紐の縛りを解かなければ乳房を、
見せる事が出来なかったが、今、彼女達を見て横にスライドさせる。
それだけで、見せる事が出来、非常に関心を持ったのも事実。


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また、職業柄、画期的なブラと思ったのも事実である。そして私は、
会場のあちこちにいる見張りの数を数えた。その数は6人だった!

ショーの合間に次の準備をしながら見張りをしていた。
私はドレスシャツの第4ボタンを開け、その中にデジカメを、
入れ込みテストをしてみた。それと同時に彼らの動きを目で追い、
大体の行動範囲を、把握してから、隠し撮りを始めた。

が、薄暗い中で、カラースポットライトの光りの為、
画像が綺麗なのか?画像が斜めになってないか?心配した。

一番心配しなければならない事柄は、彼らの動きだった。

その時見張りの一人が私の予測に反した行動をした。
私の方を指差し、タイ語で何か言っている。彼は加勢を、
呼びに楽屋裏へ入っていった。咄嗟に私はカメラを、
第4ボタンの間から出した。とにかく時間がない。

彼らが来るまでの時間は30秒も無い、さあどうする!
いつもポケットに予備のSDカードが入れてあり、
それを出し、デジカメの中のSDカードと入れ替えた。

彼らが姿を現し先ほど私を指差した男が、私に出るよう促した。
私と同じツアーの人は、何が起こったのかと驚いた表情をした。


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楽屋裏へ行ったが、そこでは金髪娘が15人くらい居た。
すべてラフな格好をしているものやパンティー一枚の娘もいた。
彼らのボスのような男が、私にカメラを出すように言っている。

タイ語だが、ゼスチャーで分かる。素直にカメラを渡したが、
どうやってONにするのか分からずに、私がカメラを取って、
中の画像を見せた。中の画像は、私が出張で行った工場の、
作業風景が、30枚ほど写っているだけで消すのを忘れていた。

彼らは何度も確認していたが、写真を写した証拠も無いので、
無罪放免となった。私なら観光に来て何故工場しか写ってない?と、
問い詰める所だが、彼らはそれもしなかった。

もしそう聞かれたら、今日の夜にパタヤに着き、そこで、
パソコンに差込み保存をしたが、その時抜くのを忘れ以前の、
SDカードがウエストポーチバッグに有ったから入れ替えたと、
言う言葉まで用意したが、それは使わずに済んだ。

だが、このままホールへ行くのは、バツが悪く「どうしてくれる?」
などと、訳の分からない英語を次から次へと並べ立てていた。

彼らは何を思ったのか、ストリップショーの無料チケットをくれた。
そのストリップショーの無料チケットは翌日のパタヤ海岸で、
現地ガイドにプレゼントした。私を指差した男が「ソーリー」などと
言いながら椅子の所まで送ってくれ、一礼してから去って行ったが、
中国人は私の所へ来て、何が起こったのか?と心配していた。

私は問題ないと言い暫くしてその場を離れ売店の方へ行ったら、
先ほどの見張り達がいたが、私に一礼して去った。

本当ならカメラを壊されても何も言えなかった。
ストリップショーなどでは撮影禁止!肝に銘じよう。
日本では、スカートの下から隠し撮りして逮捕されてる教師もいるが、
そのような精神病的低い次元ではないが、注意!注意!




パタヤのホテル


パタヤはバンコクの、
南東150kmの所にある。

バンコクから2時間半ほどで、
タイのパタヤへ着く。

昨夜は、パタヤの夜の歓楽街や、
ストリップショーの中での
トラブルにも何とか対処できた。

本当であるならば、
昨夜の私の行為は、
彼等からすれば許されない。

あの場は上手く対応でき、
おまけに、
ストリップショーの、
無料の招待券まで頂いた。


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昨夜、床に着いたのが、
深夜1時半頃だったので、
今朝の6時半起きは辛かった。

パタヤのホテルの窓から、
下のプールを見下ろし撮影した。

このホテルから歩いて3分の所が、
タイのリゾート地でも、
有名なパタヤの海岸に出る。


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一階に下りた所から、
ホテルの外観を撮影した。

このホテルの部屋は、
別荘地感覚という感じで、
到る所に木材が使われていた。

下の食堂の画像は、
昨日、着いた時に撮影しておいたもの
誰も居ない食堂だが、ここで
朝食をバイキングで摂った。


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パタヤの海へ


ベトナム戦争中に米国が、
この地域に海軍基地を設け、
その事によって発展した。

その前は、何でもない普通の、
静かな漁村だった。

そのパタヤはバンコクから2時間半ほど、
離れており南東150kmの所にある。


またリゾート地パタヤの海岸沿いまで、
ホテルから5分ほどの道のりであった。

朝食の時点で、昨夜の事柄を、
皆が知っているようで、私に聞いてきた。
昨夜、従業員に引っ張られたんですって?

それを、聞いていた現地ガイドは、
何があったのか?と昨夜私に同行した人に、
しきりと聞いていた。


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私の傍に来た現地ガイドは、話を聞いたけれど、
と言い置き、あそこはマフィアが絡んでいるから、
気を付けないと、私達でも楽屋裏へなんか入れないと、
事の重大さを告げるが、真相は話さなかった。

真相を話すと、話の受け取り方によっては、
私のイメージダウンにつながり、強いては、
日本人のイメージダウンにつながると考えたからだった。

なぜならば、私の話や行動を通して、
彼らの今までの日本人観を良い方向へ、
変えようとしていたからだった。

海岸沿いに着く前に、私のブルージーンズ姿に、
今日は海の中に入るから、海水パンツを、
穿いて来るようにと、連絡しましたでしょう?と、
聞かれたが、海水パンツを買っても、後の使い道がなく、
故意に買わなかった事を彼らに伝えた。


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ガイドは、私も朝早くに、海水パンツを買ってきて、
今穿いてますよと、私にその派手なパンツを見せた。

仕方なく、通りの向かい側で、売っている人に、
10枚ほど持って来させ選んだが、気に入るものがなかった。

どんなものでも良いのではと、選んでパンツを買った。
ブルージーンズから、海水パンツに履き替えるのに、
その場所がなかったが、皆が待っているので、
その場で、今度は私がストリップショーを皆の前で、
行った。ガイドは日本人のお尻だよ!見るのはタダだよ!と、
大きな声でアピールするので、笑いが巻き起こった。

画像のボートで、パタヤの色んな遊び場へ送ってくれた。
途中、膝上まで海水に漬かる所があり、中国のツアーの、
皆に私のお尻の肌を見せて海水パンツに着替えた甲斐が、
有ったなんて思ったりもした。

2台のボートに乗り込み、いくつかのポイントへ向かったが、
凄いスピードで走るボートの船底が海面とぶち当たる時の、
ショックが身体へ感じ、立っていたり、手を離したりすると、
たちまち座っていて下さいと注意が飛んだ。


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鳥のように飛行


パタヤはバンコクから2時間半ほど、
離れており、タイのリゾート地として、
観光に訪れる人が多い。

2艘の船に乗り、我々が向かったのは、
別のモーターボートとパラシュートを、
使い空高く鳥のように飛行する、
パラセイリングポイントだった。

我々が乗ったボートのスピードも速かったが、
海面に船底がぶつかる衝撃は大きかった。
ボートと海面の織り成す波しぶきは、
容赦なく顔にも掛かった。

まともに立っては居られなかった。
以前にも、観光客が立っていて、ボートと
海面の衝撃で、海へ投げ出された事故があった。
その事も手伝い、規律には厳しかった。


DSCF8567.jpg


ポイントへ向かう途中に、他のポイントで、
既に、パラセイリング(空を遊覧飛行)している
他のツアーの光景が、目に入ってきた。

下から見ていると、そんなに高くは無いが、
空に舞い上がり下を見ると、10階建ての
ビルの屋上から、身体を乗り出し、
下の景色を見るような感じだった。

しかし、足がすくむ感じはしなかったが、
飛び立ったポイントに、上手に着地出来るかと
言う不安の方が強かった。


DSCF8571.jpg


飛行している時間は、7分位だったが、
私には長く感じられた。その昔、
ハングライダーを少しだけ練習した事がある。

その時には、よく事故が起こり、
骨折や運が悪いと死亡事故にもつながった。
しかし、この遊びは、飛び立ってしまえば、
相手任せであり、自分ではどうする事も出来なかった。

一番難しいのは、飛び立つ時よりも、
着地であった。私の前に上海~付いて来られた、
添乗員が着地したが、飛び立った地点ではなく、
着地した時、その飛び立ち台から海面めがけて
横に3メートル下まで見事に落ちた。

腕にマジックで書いてあるのは、番号である。
そして、彼等が保管している表の数字が、
書かれていたが、何の為の数字なのか?
人数把握の為なのか?何か事故が、
起こったときに調べ易い為なのか分からない。


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これはモーターボートの操縦者の、
慣れ不慣れも手伝い、更には運不運もある。

私の場合は、着地も上手く行った。
私の後で、飛行した男性は、
着地の時に、飛び立ち台に降り立ったものの、
勢い余って飛び立ち台を通り過ぎ、
前に落ちてしまった。

皆で身体についたロープを引っ張り、
その人を上に上げたが、
頭から水浸し状態だった。

次の更新では、パラセイリングの、
飛び立つところを更新したい。


DSCF8590.jpg




パラセイリング


パタヤはタイのリゾート地として知られ、
主に欧米人のアジアにおける代表的な、
保養地として観光客を迎えてきた。

パタヤの珊瑚島近くで、パラセイリングの
ポイントに着いたが、このポイントは、
彼らが自分達で組み立てたポイントだった。

救命胴衣を身体に着け、
更にロッククライミングの時に使用する、
カラビナで安全ベルトを止めつけ、
更に、ザイルを胸の所で止め付けた。


DSCF8588.jpg


その先がモーターボートの金具のカラビナに、
止め付け、カラビナが外れないよう、
しっかりと確認をしていた。

係りの人が大きな声で確認作業をしていた。
その息が合わなければ、ボートだけ先に、
スタートしても身体のみ海に落ちてしまう。

後のパラシュートも上手く風を受けるように、
綺麗に並べられていた。トランシーバーを、
持っている人が交信していた。

彼達が腕を持つ手に力が入り、モーターボートの
ギヤーが、入れ替わったと思ったら、
パラシュートは風を呼び、ザイルは命を得たように、
ピーンと張ったと思うと、もう身体は自由が利かない。


DSCF8578.jpg


海にめがけて走るしかない。
台の切れ間で、そのまま海に落ちる錯覚を受けるが、
モーターボートがスピードを増しているので、
一瞬落ちる感覚を受けるが、一気に空へ舞い上がる。

顔には凄い風圧が掛かり、髪は乱れに乱れていた。
もしもカツラの人は、絶対にこのパラセイリングは
しない方が良いと思った。

ある人は途中でモーターボートのエンジンの調子が、
悪く引っ張る力が弱まり、そのまま海面目掛けて、
落ちた人もいたが、直ぐにスピードを上げると、
空高く舞い上がっていった。


DSCF8579.jpg


このパラセイリングのマリンスポーツは、
ハワイなどでは有名で、多くの人が、
経験してきている。

余り年配の人や足の弱い人は、やらない方が、
良いと思うが、一度はこのスポーツやってみよう。

私も長い間、サーフィンやマリンスポーツを、
していなかったので、少しは心配だった。

だが、飛び上がると意外と面白いものである。

空の上から見るパタヤの島々もブルー色。
いつも夢では空を飛び上がり飛行をするが、
パラシュートを付けているとは言え、
生まれて初めて、自分の体一つで空を飛んだ。


DSCF8598.jpg



パラセイリング


パタヤはタイのリゾート地として知られ、
主に欧米人のアジアにおける代表的な、
保養地として観光客を迎えてきた。

パタヤの珊瑚島近くで、パラセイリングの
ポイントに着いたが、このポイントは、
彼らが自分達で組み立てたポイントだった。

救命胴衣を身体に着け、
更にロッククライミングの時に使用する、
カラビナで安全ベルトを止めつけ、
更に、ザイルを胸の所で止め付けた。


DSCF8588.jpg


その先がモーターボートの金具のカラビナに、
止め付け、カラビナが外れないよう、
しっかりと確認をしていた。

係りの人が大きな声で確認作業をしていた。
その息が合わなければ、ボートだけ先に、
スタートしても身体のみ海に落ちてしまう。

後のパラシュートも上手く風を受けるように、
綺麗に並べられていた。トランシーバーを、
持っている人が交信していた。

彼達が腕を持つ手に力が入り、モーターボートの
ギヤーが、入れ替わったと思ったら、
パラシュートは風を呼び、ザイルは命を得たように、
ピーンと張ったと思うと、もう身体は自由が利かない。


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海にめがけて走るしかない。
台の切れ間で、そのまま海に落ちる錯覚を受けるが、
モーターボートがスピードを増しているので、
一瞬落ちる感覚を受けるが、一気に空へ舞い上がる。

顔には凄い風圧が掛かり、髪は乱れに乱れていた。
もしもカツラの人は、絶対にこのパラセイリングは
しない方が良いと思った。

ある人は途中でモーターボートのエンジンの調子が、
悪く引っ張る力が弱まり、そのまま海面目掛けて、
落ちた人もいたが、直ぐにスピードを上げると、
空高く舞い上がっていった。


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このパラセイリングのマリンスポーツは、
ハワイなどでは有名で、多くの人が、
経験してきている。

余り年配の人や足の弱い人は、やらない方が、
良いと思うが、一度はこのスポーツやってみよう。

私も長い間、サーフィンやマリンスポーツを、
していなかったので、少しは心配だった。

だが、飛び上がると意外と面白いものである。

空の上から見るパタヤの島々もブルー色。
いつも夢では空を飛び上がり飛行をするが、
パラシュートを付けているとは言え、
生まれて初めて、自分の体一つで空を飛んだ。


DSCF8598.jpg




マリンスポーツ


パタヤはバンコクから2時間半ほど、
離れており、タイのリゾート地として、
観光に訪れる人が多い。

2艘の船に乗り、
パラセイリングポイントで楽しんだ我々は、
次に水上ジェットバイクへ乗った。

オートバイその物が、若い頃に乗ったきりで、
現在で全く乗らない私は少し戸惑った。

しかし、インストラクターが後ろに乗って、
最初だけ運転してくれ、あの若い頃の
感じが戻ってきたようだった。

暫くして、自分でひとりで運転していて、
少しスピードを上げると、車体が浮いてしまい、
インストラクターから肩を叩かれた。

多分、インストラクターも怖かったのだろうと、
良い方向に解釈してしまったが、
どうやら違うようだった。


DSCF8599.jpg


私が違うルートへ向かって走っている事を、
知らせるために肩を叩いたようだった。
インストラクターが方向を変え、また私が、
運転して島まで戻った。

スピードを出していた時には、波の上を、
まるで池に石を水平に投げ、その石が何回も、
水面を弾いて飛んでいくような感じだった。

しかし、スピードを出していた時には、
感じなかった事が、島が近づくに
従って身体に感じた。

スピードが遅くなるに従って、バランスが取り辛く、
ハンドル操作ム難しくなって行った。

しかし、海上を高速で駆け抜けて行く、
その爽快さは陸地での乗り物では味わえないと思った。

そして、現在でもオートバイに乗っている医科大学生の
彼女も挑戦した。問題ないと言ってはいたものの、
陸と海上では、勝手が違うようで、はじめは、
インストラクターも、困っていたが、帰ってきた頃には、
ごらんの通り様になっている。

幾つもの楽しいマリンスポーツを満喫でき、
いいバカンスを過ごせ、小さな幸せを味わった。


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